作成日:令和4年12月2日 技術士 楢村光雄
古代中国の杞の国の人が、天が落ちてきはしまいか、と心配したという故事
から、あれこれと無用の心配をする事を「杞憂」というが、以下の事項は、本当に無用の心配であろうか?
今から約6500万年前、直径10kmの巨大隕石が中米ユカタン半島沖に落下し、地球は一大変異を受けた。大津波に何度も見舞われ、太陽光は長時間に亘って粉塵に覆われ、多くの生物が急激な地球環境の変化に対応できず死に絶えた。
又、地球から550光年の距離にある、オリオン座のベテルギウスは、超新星爆発を迎える時期に来ているようだ。その自転軸の方向によっては、地球に強い影響を及ぼすかもしれない。
現在では、人工物であるミサイルが空から降ってくるのを心配しなくてはならない。ましてや核爆弾を搭載して。
宇宙の中で、奇跡的に誕生した生命、そして考える能力を持ち、文明をはぐくみ、文化を育てた人間は、宇宙から見放なされるのではないか、
地球上に人間は必要ないとされるのだろうか?
作成日:令和4年8月15日 技術士(建設)楢村光雄
2021年7月に熱海市で発生した土石流は、土砂をわざわざ山腹まで持ち上げて、位置エネルギーを高め、降雨により、盛土重量が増し、滑りやすくなり、その結果、土石流となって一気に下流に流出し、多大の被害を齎した。
このように、人工的に位置エネルギーを増加させる行為は、防災上問題があるが、社会活動を広げるため、やむを得ず行う下記のような場合は、慎重な検討と十分な防災対策が必要である。
しかしこれらの人為的行為には、ダムや堤防の決壊、あるいは、ビルの火災・倒壊という新たな災害が待ち受けている。
作成日:令和4年1月19日 技術士 楢村光雄
一般に道路の排水は通常、道路の両側に側溝を設け、路面に降った雨は、2%程度の横断勾配で側溝に導かれる。側溝はある程度の縦断勾配を有し、道路を横断している水路や河川に接続し、放流する。 水路や河川が道路から遠く離れている場合は、どうするか。原則的には、水路や河川まで道路用地として用地買収し、道路排水の流末を確保する。しかし、費用や維持管理も大変である。そこで、道路排水の現場処理として、浸透式集水桝を試行した。側溝の集水桝の底を、通常、コンクリートを打つところを打たずに、砕石等を敷いて雨水を地中に浸透させるように考えたものである。 実施にあたっては、・土質が砂質土であること・目詰まり対策が考慮されていること等の、幾つかの条件があるが、雨水が自然の状態に近い形で大地に戻るのは、好ましいことである。
作成日:令和3年8月19日 技術士 楢村光雄
今から丁度30年前の、1991年9月19日、国分川分水路トンネル水没事故が発生した。今日(2021年7月9日)は友人と、分水路坑口に設置されている慰霊碑を訪問した。
日本列島は梅雨の時期で、7月3日には、熱海市で土石流が発生し(人工盛土の崩壊が引き金か)30名の方が巻き込まれ、今も救出作業が続いている。
北総線秋山駅(1991年3月開業)で下車(地中駅)、階段を上って地上に出る。ロータリーがあり、北総線が東京方面に高架で顔を出している方向に歩いてゆく。国分川を渡る、ここまで約1km、川沿いに上流方向に歩む。途中から左手に雑木林の山裾沿いを約1㎞行くと、国分川分水路の坑口の上に出る、左手には、竣工記念碑と、
殉職者御芳名の碑が設置してある。
7名の方の出身地と氏名が刻まれている。
治水事業に殉職された7名の方のご冥福をお祈りし、献花した。
付近一帯は分水のための水工施設(水門、越流工等)がいくつも設置されている。分水の放流先は江戸川であり、江戸川の水位如何によっては、分水路の水門は、厳しい操作を強いられる可能性がある。
尚、帰り道を辿りながら分かったことだが、秋山駅から、ロータリーの後ろ側に国道464号線が通っており、それを利用して徒歩で大橋経由で行くか、又は、松戸駅東口行きのバスが出ているので、それに乗って、大橋で下車し山裾沿いに行けば、歩く距離は短くなる。又、分水点付近、及び大橋までの左岸側の管理用通路は整備されており、通行可能であった。
作成日:令和3年6月19日 技術士 楢村光雄
・真間川:国分川を支川の一つとする真間川は、松戸市と鎌ケ谷市を上流域として流下し、下流部の市川市街地を横断して、西の江戸川と南の東京湾の二箇所に河口を持つ流域面積65.6㎢の一級河川である。
1960年代以降、真間川は流域の都市化が著しく、それに伴って、いわゆる都市水害が頻発し、国から「総合治水対策特定河川」に指定され、総合的な治水対策が急がれる河川であった。なお、1995年当時の流域人口は、約435000人であった。
・国分川:真間川の一支川で、松戸市南部と市川市北部の一部を流域として南流し、途中、春木川を分派して真間川に合流する流路延長12.5㎞の河川である。
・国分川分水路:国分川分水路は、国分川中・下流部の市川市街地を水害から守るために、国分川の中流部から分水路(延長3362m、内トンネル部分2555m、直径7、6m、Q=100㎥/秒)を建設し、洪水時には国分川洪水の全量を坂川に分派し、柳原水門を通じて江戸川に放流するものである。
・1991年9月19日、午後5時頃、国分川分水路のトンネル工事現場で発生した。台風18号の接近による大雨の影響で国分川が増水し、溢れた洪水はトンネル坑口に達し、ここに設けられていた仮締切(千葉県管理)を破壊した。そして、濁流は既に完成していたトンネル部を流下し、坑口から約1600m離れた掘削工事の現場を襲い、作業中の7人が水死する事故が発生した。
国分川分水路 概要図
・1991年9月:本件事故発生
・1993年9月:千葉県警が千葉県真間川改修事務所工務課長を書類送検
・1994年9月:柏労基署が施工業者と現場代理人を労働安全衛生法違反で書類送検し、罰金20万円の刑が確定
・1995年2月:千葉地検が工務課長を逮捕・起訴
・1996年10月:千葉地裁が禁固1年6ヶ月の実刑判決、被告が控訴
・1998年4月:東京高裁が禁固2年執行猶予3年の判決、被告が上告
・2001年2月:最高裁が上告を棄却、刑の確定、被告の失職
本件は、災害時等人命に関わる事態が発生した場合に、発注者が取るべき措置について争点となった。
・事故発生の予見可能性:崩壊した仮締切は、千葉県の管理下にあり、その設計・施工・管理は千葉県が責任を負う
・事故の回避:仮締切の設計条件や安全性については、管理者である千葉県が知見を有していたのであるから、緊急退避の指示は被告が行うべきであった。不作為による過失致死罪となる。
・1994年3月22日、国分川分水路が完成・通水し、分派地点より下流域の治水安全度は高まった。ここに至るまでに、以上のような非常に残念な事故が発生していたのである。再発防止の観点から、事故原因について、私見を述べてみたい。
・スケール感の欠如 トンネル工事の責任者は現場の坑口に立って、洪水時の状況を想像できたか、トンネルの中の作業員の安全を考えたか、大きな水圧を受ける仮締切は健全か、具体的には、7mの水圧に耐える長さ8m、w30㎝のH鋼、 その基礎は「建て込み」ではなく、径22mm、長さ20㎝のアンカーボルトで止めている、「H鋼とアンカーボルト」どう見てもアンバランスである。「スケ―ル感」が問われる。何れ撤去される仮設構造物ではあるが、 人命を守る重要構造物に、このような「アキレス腱」があってはならない。又、仮締切の前面に設置した大型土のうが、安全側の印象を与えたのではないか。
H鋼と基礎の定着
・予算の執行体制
1990年前後、世の中はバブル経済の真っ只中で、税収も伸びて 公共事業への予算の配分も潤沢であった。 治水対策が急がれている国分川分水路工事についても、年度内に消化出来る事業費以上の予算が配分され、 その上、数次に亘る補正予算が付き、現場は多忙を極めていたに違いない。予算要求資料の作成・現場確認・設計・発注・監督・検査・繰り越等々に追われ、 技術検討・安全施行に、不安が生じる状況であったことは、想像に難くない。技術の基本は、現場をよく見ることであり、そのことにより「スケール感」も養われる。 組織が所期の目的どおり、健全に機能しているか、職員に過重な負担を強いていないか、今回の事故が、組織の歪みにより誘発されたのであれば、事故の責任は組織管理者にもおよぶ。
国分川分水路トンネル背景水没事故は、治水担当者に大きな衝撃を与えた。発注者の安全確保義務の裁判所の判断、仮締切の設計施工管理の問題点など 議論すべき点が多い。建設専門誌である「日経コンストラクション」でも数回にわたり記事にとり上げている。この小文でも同誌を参考にした。又、インターネットにも、 幾つかの記事が掲載されている。犠牲となられた7名の慰霊碑は、トンネル入口の上部に設置されてある。
「竹林征三著「物語 日本の治水史」(鹿島出版会)、「明治維新150年と治水の歴史」(日刊建設工業新聞、19379号~19595号)を読んで」
作成日:令和3年2月11日 技術士 楢村光雄
本著作で述べられている「治水の失敗と事故については、ほとんど書き残されてこなかった。治水史というのは世にも不思議な技術の歴史である。失敗と事故から学んだ面は進歩し、気づかない面は事故と失敗を繰り返してきた」ことに関して、私の読後雑感を述べてみる。
以上を考慮して、治水を考えると
大河津分水事業については、示唆に富む考察がされている。
なお、「治水」の失敗と事故に関して、以下のような区分けにより説明があれば、一層理解が進むのではないかと思う。
・ 国民の自然災害に対する認識
・ 時代の制約(国民の治水意識の程度)
・ 政策論、政治的判断
・ 治水計画論
・ 治水施設の設計施工、管理運用
今、治水の失敗例として思いつくのは、地盤沈下をもたらした地下水の汲み上げである。広い範囲の人口稠密地帯が、海抜ゼロメートルとなり、その対策として、高潮堤防の嵩上げやポンプ場の整備等が進められたが、将来にわたって維持管理費や施設の健全性の心配をしなくてはならない。
首都直下型地震に対しても、首都移転等の強い施策を出して、着実に実行しているのだろうか。
我々も、複合大災害に対して、少なくともパニックに陥らないよう、脳内訓練は出来ているだろうか。(噴火、地震、津波、洪水、疫病、戦争等)
課題は多い、多過ぎる。以上。
作成日:令和2年10月26日 技術士 楢村光雄
作成日:令和2年5月19日 技術士 楢村光雄
作成日:令和2年2月15日 技術士 楢村光雄
2019年9月の台風19号により、房総半島は甚大な被害を被った。特に停電と断水が長く続き、未だ、残暑が厳しい中、日常生活に重大な支障を生じた。改めて、現代は電気と水道に生活が支えられていることを実感した。
下記の図は、水道の普及率と水系消化器系伝染病患者数の経年推移を表したものである。
この図によれば、
作成日:令和元年11月1日 技術士 楢村光雄
2019年10月13日のTVや14日の新聞報道を見て、目を疑うとはこのことかと思った(下図)。皆さんはどの様な感想をお持ちでしたか。
10月12日から13日にかけて東日本を襲った台風19号は、各地に猛烈な豪雨をもたらした。気象庁は1都12県に大雨特別警報を発令し、防災関係者は警戒を強めていたが、河川堤防が次々に決壊した。長野市では、13日未明、千曲川の堤防が約70㍍わたり決壊し、大量の濁流が流れ出し、JR東日本の車両センターの北陸新幹線車両基地が水没し、新幹線車両10編成が水に漬かった。
昨年9月、台風21号の高潮より、関西国際空港が水没し、その上、タンカーが連絡橋に衝突、3千人の利用者が孤立したニュースは記憶に新しい。
今回も又、水没である。
車両基地の計画・設計を担当した土木の技術陣は、千曲川の堤防の強さと自然
の力の強さと、どちらが強くて大きいと考えたのであろうか。車両基地の路盤高は、少なくとも、千曲川の当該地域のハザードマップ・既往洪水位・計画高水位等を検討し、又、越水・破堤・内水氾濫を考慮して決定すべきであった。
「堤防は破堤する」この事実は、土木技術者の常識である。
「堤防は破堤する」ことを前提に、土地利用を考え、浸水対策を考慮の上、構造物を計画する必要がある。
一方、河川技術者は、破堤しにくい堤防の設計施工に努めることが求められる。
作成日:令和元年8月7日 技術士 楢村光雄
作成日:平成31年3月10日 技術士 楢村光雄
晴天時の土砂崩壊
その頃はまだ土曜日が半日勤務であり、午後は少数の者が、残業で書類整理をしたり、スポーツや麻雀等の息抜きに時間を使っていた。
そんな長閑な土曜日の午後、警察から電話が入った、「県道が土砂に埋まっている」、取るものも取りあえず現場に急行、崖が崩れて道路が土砂で埋まっている。この道路は通学路に指定されている、脇の下を冷や汗が流れる、・上司への報告・交通止めに関して警察とのやり取り・学童の安否確認のため小学校への連絡・地元業者へ土砂撤去の依頼・・・、携帯電話がないので、今から考えれば悠長な時間の流れであっただろう、が担当者としては、気が気ではなかった、土砂撤去が完了し、学童全員の帰宅が確認されたのは夕刻であった。
数日前から降雨もなく、当日は晴天で地震も記録されていない。全く青天の霹靂とはこのようなことかと思った。その後、管内の崖地を含む道路の目視安全点検で、本件の事故処理は完了したが、崖地崩落の原因究明はなされず、当然特段の対策も取られなかった。筆者も原因究明も主張すべき立場であったが、残念ながら、提案しなかった。それは以下の理由が考えられる、
作成日:平成30年11月30日 技術士(建設、総合)楢村光雄
2018年9月6日午前3時8分ごろ、北海道胆振地方を震源とするM6,7の地震が発生し、厚真町で震度7をはじめ道内各地で強い揺れに襲われた。
この地震により、死者41名、全壊家屋約400棟の被害が発生し、道内の全域で一時停電し、市民生活や経済活動に大きな影響を与えた。
この地震では、強振動により厚真町を中心に広い範囲で土砂崩れが発生した。これは、周辺の地表が巨大噴火により噴出した、火山灰や軽石により形成された不安定な地層が引き起こしたものと思われる。
又、液状化現象が都市部においても発生した。
7月の初旬に西日本に大きな被害をだした「平成30年7月豪雨」から2か月、今度は北海道道東を中心に震度7を記録する大地震が発生し、大きな被害をもたらした。
「日本列島は災害列島」であることを強く認識した。
首都圏に住む私達は、「直下型地震」や「複合災害」に対する理解を深め、できる対策から、取り組む必要がある。
作成日:平成30年7月17日 技術士(建設、総合)楢村光雄
2018年6月下旬から7月上旬にかけて、九州から中国・四国・近畿・東海地方が大雨に見舞われ、200人の人命が失われる平成最悪の豪雨被害となった。
日本海を東に進む、台風7号から変わった温帯低気圧に向かって、湿った暖かい空気が多量に流れ込み、停滞する梅雨前線を刺激して、長時間の豪雨となった。気象庁は9府県に「大雨特別警報」を発令し、厳重警戒を促した。
河川の氾濫、土砂崩れが多数発生し、広島市では四年前の2014年8月に土砂崩れで77人が亡くなったが、今回も又90人の方が犠牲となった。
倉敷市では、高梁川の支川の小田川の堤防が決壊し、急速な水位上昇により、逃げ遅れた多くの人たちが、犠牲となった。
[何時でも]
今回の気象状況を見ると、地球温暖化により、気象現象は急激に荒々しくなる傾向が感じられる。
昨年の九州北部豪雨に続いての今回の豪雨(大雨特別警報は、数十年に一度の稀な大雨に対する警報である)は地域によっては
2年連続の特別警報であった。この秋にも、台風による大雨が襲来しないとも限らない。
[何処でも]
今回のような雨が降れば、日本全国どこでも、河川の氾濫や土砂崩れが発生し、多数の人命が危険に晒され、多大な経済的損失を被る。
[危険の回避]
大雨は降る、河川は氾濫する、土砂崩れは発生する、このことを前提に、自分の住居地を点検する。
作成日:平成30年5月10日 技術顧問:楢村光雄
「サービス」としての水質検査
作成日:平成30年1月20日 技術顧問:楢村光雄
[没]になった原稿
以下の原稿は、私が「失敗の記録」として記述した原稿であるが、社内で検討した結果、没になった原稿である。人物、日時、場所が特定される部分を伏字○○として、採録する。
なお、参考までに、末尾に差し障りとなる問題項目等を列挙しておいた。
[○○車を盗まれる]
夏の良く晴れた暑い日であった。その日は、工事の竣工検査が予定され、○○○が○○から当地に赴いていた。検査一行は、設計書・図面・巻尺・レベル等の検査用具一式を持って、検査対象である○○道路を検査しつつ移動していた。
その間、○○車のライトバンは検査起点の堤防の下の道路に、エンジンを駆けたまま、放置された。検査が終わり、車に帰った時に、クーラーの効いた車内に○○○を迎え入れたい、との親切心であった。周りは水田・人家は疎ら・人影なし、ところが、検査が終わって帰って来てみると、車がない、さあ大変。
○○警察では、その車が事件に関与すると車の管理者責任が問われる、と脅される。とは言いつつも日頃、意思疎通を保つ努力をしておいた結果からだろうか、直ぐに管内のタクシー会社に連絡を取ってくれた。盗難車を発見するための第一の有効手段は、タクシー会社に連絡し、各ドライバーに注意をしてもらうことらしい。其の甲斐もなく、夕方になっても連絡がない。心配でしようがない。
30km離れたコンビニの駐車場に、乗り捨てられているのが発見されたのは、暗くなってからである。
良かれと思って、実行する場合も、それに伴うリスクを考慮し、リスクの発現の可能性や、リスクが現実化しなかった場合とした場合の、メリットとデメリットの質と量を冷静に比較検討すること、等の反省が考えられる。
作成日:平成29年11月15日 技術顧問:楢村光雄
これから、私が経験した失敗を幾つか紹介します。人間、生きていく上で、又、仕事の上で、必ず失敗を経験します。つまらない失敗から考えさせられる失敗まで、失敗にも種々あります。ここでは、失敗の幾つかを、記憶の中から引っ張り出し、失敗の原因や評価を、皆さんと一緒に考える機会になれば、と思っています。
[光ファイバー焼損事故]
○○橋梁は床版の傷みが激しく、打替えの必要が生じた。このため、工事の一環として鋼製ジョイントを溶断していた所、落下した火の玉が、光ファイバーを保護していたカバーの隙間から侵入し、光ファイバーを数十メートルにわたって焼損した。
この光ファイバーは、重要構造物の遠隔操作用のもので、復旧までの間、機側操作で応急対応した。
[考えるポイント]
作成日:平成29年7月3日 技術士(建設、総合技術監理) 技術顧問:楢村光雄
2011年に東日本大震災が発生してから、既に6年以上が過ぎ、大震災の記憶も、残念ながら、薄れてゆく。
首都直下型地震がこの30年間に、高い確率で発生すると言われている。
ここでは、災害の記録について、「方丈記」を参考にしながら、考えてみることにしよう。災害の発生から被害状況の把握、応急復旧から復興に至る全体の記録については、公的機関が、専門家と時間と必要経費を使って作成する。
では、個人として何を記録するのか。
方丈記は今から805年前の西暦1212年、鴨長明によって書かれた随筆である。
1212年と言えば、源平の争いが終わり、鎌倉幕府が成立(1192年)して20年経過した頃であり、大陸では蒙古のチンギス汗が即位(1206年)し、欧州では、第4回十字軍(1202~1204年)の遠征があった時代である。
方丈記では、冒頭「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世中にある人と栖と、又かくのごとし。」と記し、そのころ都で発生した災害を丹念に記録している。
図―① 流水紋
火災、辻風、ひでり・大風・洪水による飢饉、大地震などが遷都騒ぎの都を襲った。
特に飢饉についての記述は詳細で、仁和寺の和尚が行倒れの餓死者の額に「阿」の字を書き人数を数えたところ、都のある区域だけで、4万2千3百余あった、と記している。
そして、そのような和尚(名は隆暁法印という)がいたことを、記録に残していることも貴重である。
又、地震についても詳しく、被害の様相の記述は臨場感に溢れている。その中でも、余震の回数は明白な減衰曲線を記録しており、記述全体の正確さを窺わせる。
方丈記の災害記述は、
このことから、個人の記録は、蟻が地面を這いつくばって得た情報、つまり個人的体験を記録することであろう。
方丈記の災害記述は、災害の全貌を伝える一方、地を這う微視的な情報も織り込んでいる。
現代においては、災害のマクロ的な把握は、公的機関によるものとし、多くの人が個人的記録を書き残すことが必要である。その記録は、非常に局所・局部的であり、主観的にならざるを得ないが、それ故個性的であり、読む者に訴える力は強い。
私の友人に、東日本大震災の時、津波に巻き込まれ、九死に一生を得た人がおり、その貴重で、超個人的な体験を、いち早く文章化し、それを携えて、県内のみならず、全国を飛び回って語り部として活動されている。
図―② 砂上の摩天楼 現代文明の縮図
鴨長明はこのような体験に基づき、冒頭の随想に続き「棟を並べ、甍を争へる、高き卑しき人のすまいは、世世を経て尽きせぬ物なれど、是をまことかと尋ぬれば、昔しありし家はまれなり。或は去年焼けて今年作れり。或は大なる家滅びて小家となる。住む人も是に同じ」と記述している。
この部分を読むと、映画「タワーリングインフェルノ」を思い出す。又、現在も建設が進行中の、ドバイの砂漠地における新都市建設が脳裏を掠める。
鴨長明の六十歳時の住居は、三十歳台のそれに比べると、百分の一に及ばない「方丈」に住んでいる。そして、「又、ふもとに、一の柴の庵あり。(中略)かしこに小童あり。時々来りてあひとぶらふ。若しつれづれなる時は、これを友として遊行す。かれは十歳、これは六十」とし、小童との交流を記している。この小童は、鴨長明と付き合う内に、世の中の変転・流転の方丈記的思考が身に染まり、その後の子孫のDNAに影響し、我々日本人の無常観の一部を形成したのではなかろうか。
図―③ 方丈庵 解体組立は簡単 移動運搬は車(大八車程度)2両
何れにせよ、災害列島に住む我々は、災害の記憶を後世に伝える義務がある。災害に対する知識と備え、それを支えるのは公的記録と、個人的記憶である。個人的記憶を印刷物(文字、写真)なりCDに保存し、私の友人のように、確実に後世に伝承していくことが求められている。
作成日:平成29年6月6日 技術顧問:楢村光雄
全国各地の砂防ボランティアが一堂に会し、その体験を発表し、土砂災害防止活動に役立てるため、6月1日に愛知県豊田市で集会が開かれました。
NPO防災千葉からは、市川理事長、児安事業部員、楢村が参加しました。
今年は、砂防ボランティア岩手県協会と砂防ボランティア広島県協会から活動報告があり、特に岩手県協会からは、平成28年8月30日の台風10号による災害時の急傾斜施設の現地点検調査活動の内容について、報告がありました。
留意点として
作成日:平成29年5月16日 設計部 鵜飼 浩
熊本の歴史的構造物として、加藤清正の指揮により江戸時代に築造されたとされる農業用水路「鼻ぐり井手」を見学しました。(見学日2016年11月19日)
位置図(地図出典:Google マップ)
くり貫いた穴の形が牛の鼻輪を通す穴に似ているところが「鼻ぐり」という名称の由来とされています。中須山の鼻ぐり橋付近の断面図
構造概要図
上図出典:2015 菊陽町教育委員会パンフレット「馬場楠井手(ばばくすいで)と鼻ぐり」
作成日:平成29年3月20日 技術顧問 楢村光雄
中国の戦国時代、燕が斉に敗れ、その領土の大半が斉に占領されていた頃、燕の昭王は国力増強・失地回復のため、人材を求める方策を宰相郭隗に尋ねた。
郭隗は故事を例に引きながら「先ず私を厚遇しなさい(先ず 隗より始めよ)それを見た諸国の賢者が、あの凡庸な男でも、あのように遇せられている、私ならもっと優遇される・・・と諸賢が押しかけて来るであろう」
昭王が隗を優遇したところ、天下の賢者が燕に集まり、燕は力を盛り返し、失地回復にも成功した。―①
これから転じて、②―遠大なことをするには、身近なことからはじめよ、③―ことを始めるには、先ず自分自身が着手せよ(言い出しっぺが着手する)という意味に用いられる。
今、土木に関して意見を表出する機会は多いようであるが、実は少ない、表に表すのが面倒と感じる、そのような消極さを少しでも払い除けたい、土木から世の中を見る、又、世の中から、土木を見てみたいと思う。それを文章として定着させ、皆さんの目に晒せたいと思う。
筆者は75才の元土木職の地方公務員、文章は下手、イラストもなっていない、しかし、少しでもこの駄文に目を通し、そういう考えもあるのか、自分ならこう考える、と思ってもらえればそれで良し。
この場での、「先ず 隗より始めよ」は ②、③、の意味で使っている、即ち、 土木のことについて、もっと良い土木にしようと思う気持ちを大切にしながら、土木の現実・現場・現象・経験・感想・疑問・提案などを不十分で断片的にではあるが書いてみたい。
なお、①について感想を述べれば、宮仕えの隗氏は少なからず不完全燃焼の人生ではなかったか、何しろ自らを諸国の賢者に比して凡人とし、厚遇は得ることはできたが、何となく処世術がうまく、微温湯的な処遇に甘んじて、生涯を送ったのではなかったか、と感じていた。
いやいや、隗氏は、戦国の世、そんなのんびりした生涯を送れる訳がない。まず、燕に仕官しようと押しかけてくる有象無象の人物の中から、真に燕の国の再建に辣腕を振るえる人物を選別しなければならない。口先だけの男かもしれぬ、テロリストやもしれぬ、自分より高い給料も決めてやらなくてはならぬ、結果的には領土も回復したことを考えれば、隗氏は昭王の信頼厚く、人を見る目の確かさを備えていた人物であったに違いない。
隗氏は凡庸なる官僚ではなかったという結論になる。
作成日:平成29年3月20日 技術顧問 楢村光雄
ここでは「公共土木施設災害復旧事業費国庫負担法」に関する災害復旧について記する。
作成日:平成29年3月10日 設計部 鵜飼 浩
熊本地震から半年経過した2016年11月、千葉県建設コンサルタント業協会主催の熊本被災地視察会に参加しました。その中で、世間での注目度の高い熊本城について、土木施設でもある石垣の被災状態を撮影しました。
(撮影日2016年11月18日 立入り可能箇所からの撮影)
次に、櫓(やぐら)の土台となる石垣の隅角部に着目してみました。
メディアで注目された飯田丸五階櫓の隅角部と同様、これらの櫓の土台となる石垣も、隅角部は崩壊を免れている。隅角部がかろうじて崩壊を免れたことで、上部の天守、櫓の崩壊を防いだともいえる。
石垣は、「扇の勾配」と呼ばれる上部が急勾配となる積み方で、隅角部は算木積み (※)である。この積み方は、加藤清正が携わった石垣の特徴でもあり、今から400年ほど前のコンクリートを使用しない石垣として、強固さと美しさを兼ね備えている。
(※)算木積み
隅石に用いる長石の長辺と短辺を交互に積み上げていく積み方
作成日:平成28年6月21日 作成者:楢村 光雄
阪神・淡路大震災を契機として、全国各地に砂防ボランティア協会が設立され、土砂災害防止のため、危険箇所の点検や土砂災害防止のための方策などに関する広報活動が行われています。
このつどいは、全国の砂防ボランティアが一堂に会し、その体験を発表し、ボランティア活動の今後のあり方や技術の研鑽に努めることを目的に、今年度は下記により開催されました。
開催日:平成28年6月21日
場 所:岡山市
活動報告は、徳島県砂防ボランティア協会と特定非営利活動法人神通砂防の二団体から行われ、徳島県協会からは「災害時の活動の困難さについて」、神通砂防からは「砂防教育の重要性について」報告があり、参加者は熱心に聞き入っていました。
尚、千葉県では、特定非営利活動法人防災千葉として、会員250人で防災教育等の活動を実施しています。
作成日:平成28年5月15日 作成者:楢村 光雄
平成28年4月14日21時26分熊本県において震度7(M6.5)の地震が発生し、
その後、4月16日1時25分に再び震度7(M7.3)の地震が発生した。
気象庁は、4月14日の地震を4月16日の地震の前震と位置付けたが、このように震度7規模の地震が続けて発生することは珍しい現象である。
このため、犠牲者49名の内12名は前震では倒壊しなかった建物の中で休んでいたところ本震によって建物が倒壊し下敷きになって死亡したことがわかった。
又、ライフライン(鉄道、道路、空港、電気、上下水道、ガス等)も多大な損傷を受け、その復旧に全力が注がれている。
農地や工場などの生産部門の被害も大きく、熊本県のみならず九州の産業、ひいては日本の経済にも影響を与えると思われる。
活断層のずれによって発生した今回の震度7の揺れには大規模な山崩れ、法面崩壊、地面の亀裂、液状化、多数の家屋の倒壊をもたらし人命を奪い、生活、産業基盤を破壊した。
現地では各担当部署が懸命の復旧作業をおこなっており、全国からボランティアも参集し心強い活動を続けている。
私達建設部内に働く者として、熊本地震から得られた教訓を今後の事業に活かしてゆく必要がある。
作成日:平成28年11月2日
作成者:技術士(建設・総合技術監理部門) 楢村光雄
突然、ガタガタッという激しい上下動が襲って来る。
立っていられない、棚から物が落ちる、ロッカーが倒れる、
やっとの思いで机の下に身を隠す。
路上では、建物からの落下物(広告看板やタイル等)や電柱が倒れかかってくる。
一旦、難を逃れても、暫くすると余震がやって来る。
通常、大地震の直前にテレビや携帯電話に緊急地震速報が警戒音と同時に表示されるが、直下型地震の場合、
この速報が表示される前に、突然揺れが来る。
そして、遅れて緊急地震速報が届く。
震源から離れた場所には、はじめに速度の速いP波が届き、
続いてP波より速度は遅いが
揺れの大きいS波が届く。
緊急地震速報は、P波を感知して震源・震度を予測して発せられるシステムである。
首都直下型地震の場合、震源から地表までの距離は20km程度、P波とS波の到達する
時間差は、わずか2秒ほどなので、有効な対策は取りづらい。
30年以内にM7以上の地震の発生確率は70%
南関東でM7クラスの直下型地震は、300年間に9回(30年~40年に1回)発生したことから、これを確率表現した。
南関東のどこかで、M7クラスの直下型地震が、今後30年以内に起こる確率はかなり高いということである。
転倒防止の原理 |
・つっかえ棒は、奥の壁近くに取り付ける ・つっかえ棒は、緩みのないように取り付ける |